鉄道模型趣味について
鉄道模型趣味は川崎に住んでいた頃に、熱中していたのですが、ソフトウェア産業への転職を機にストップ。実家にしまいこんでいた模型をアメリカに持って帰ってきて再開に至ります。 日本から模型を持って帰ってくると言うことは、一見簡単そうですが、壊れ物の模型に加えて重量のかさむ工具、塗料などの危険物も含まれていたものですから、重量の関係から一部とは言え、実際に運んでみると結構大変でした。 模型製作再開は、16年間ストップしていた京阪3000系テレビカーの製作から始めました。作り始めた当時、京阪は京阪三条駅地下化工事を始めた時期で、京阪三条駅は地上にありましたが、 鉄道模型との出会いはものすごく昔で、小学校3年生ぐらいの時に父がアメリカ出張で、Atlas Nゲージのディーゼルカーセットを買ってきてくれたことがきっかけです。パワーパックと言う走らせるための電源を買ってきてもらえなかったことで、走らせることができなくて当時とても悲しかったです。いつか走らせるぞ、って願い、その後Nゲージを趣味にしましたが、なにせ子供の小遣いで買うには高い上、当時日本のNゲージと言えば蒸気機関車が2種類、電気機関車が2種類に、ディーゼル列車、国電車両、客車、貨車がちょっとだけで、売っているお店もほとんどなく悲しいものでした。カツミ模型(ぎょらん坂にあった頃です)といさみやに行って、Nゲージありますか?って聞いたら、「扱ってません」ってはっきり言われました。時代の流れか、さすがに、今では両店ともにNゲージを扱っているようです。 その後、飛行機プラモデル製作にどっぷりはまるも、就職して働き始め、ふたたび鉄道模型の世界へ。もともと何か作るのが好きなので、Nゲージの完成品を買うことはまったく興味がわかず、素直にHOの真鍮キット組み立てを始めました。冒頭に書きましたように転職のおりにストップしてブランクがありましたが、アメリカにて再度、工作再開、キッと工作に加え、スクラッチ工作を楽しんでいます。最近は目の老化に伴い、Oスケール主流です。 アメリカで日本型車輌模型工作を行うのは、パーツ手配などの面でかなり不便ですが、それを理由に適当な工作もできます。欲しいパーツが手に入らないよりもどんなパーツがあるのかわからないことの不便解消のために、みんなで作る鉄道模型カタログコーナーを作りました。このカタログ作りの影響もあって、パーツ集めも趣味になっています。 海外で鉄道模型工作を楽しんでいらっしゃる方のネットワークなどできたらうれしいと思います。 |